heartbreak


みなさんは、vulnerabilityという言葉を聞いたことはありますか?
直訳すると脆弱性、となりますが、弱さとか、傷つきやすさ、もろさ、のような意味があります。

アメリカに暮らしていると、アメリカ人は弱みをなかなか見せない国民だと思う事があります。アメリカ人は "Sorry" を言わない(謝らない)と聞いたことがありませんか?その理由の一つとして訴訟王国だという事があります。一説によると、謝ると言う事は自分の非を認める事につながり、訴訟に不利になるからだそうです。

そのようなお国柄か、普通に話している時に、自分の弱さだとか、抱えている不安、苦しみや悲しみなどは滅多に人に見せません(個人的に深い関係になった人や、セラピーなどでの会話はもちろん別ですが)。通常の会話では特に何も問題が無く、どちらかというと強がって生きている印象を受けます。ずっと、何故アメリカ人はいつも強がっているんだろう?と不思議に思っていた所、アメリカ人は弱みを見せる事は悪い事、つまり、vulnerability(もろさ)は好ましくない事だと思っている事が分かりました。

文化によって価値観が違う、という話を良くしますが、例えば、「繊細」という言葉は日本語では良い意味でも悪い意味でも使われませんか?この直訳の英語の ”sensitive”という言葉は、英語ではほぼ良い意味では使われません。逆に、”assertive”(自己主張)と言う言葉が集団主義の日本ではちょっと身勝手で自己中的な良くないニュアンスを含むのに対し、個人主義のアメリカではかなり良い、そして人々はそうあるべき(自分の意見をはっきり主張すべき)というような風に肯定的に使われる事が多いです。

こういう「強さ」が好まれるアメリカなので、人前で vulnerable(もろさ)部分を見せるのは往々にして苦手らしいのです。(もちろん日本でもそういう人は沢山いるでしょうが、要は文化がそういう事を推奨する、もしくは普通とみなす文化か、それとも推奨しない、つまりそうあるべきではない、と見なす文化かということです。)

この心のもろさ (Vulnerability) の力について話をしたブレネー・ブラウン (Brené Brown) という教授がいます。彼女はこのTEDTalkで一躍有名になりました。



彼女は人間同士の繋がり (connection)は、「恥 (Shame)」の観念と重大な関りがあると気づきました。「恥 (Shame)」とは「関係性喪失への恐れ (fear of disconnection)」。自分は「そこまで可愛くない」「そこまで頭が良くない」「そこまで良い子じゃない」、というような、「自分の中の何かが十分でない」という「恥」の感覚を持っていると、自分は人と関係を築くのに値しないと思いこみ、人との繋がりを持てない。つまり、人と関係性を持つには極度の心のもろさ (excruciating vulnerability) が必要、つまり、自分をさらけ出す必要があると言うのです。

またブラウン教授は、研究していくうちに、2つタイプの人達がいる事に気付きました。自己価値感があり、周りに愛と帰属感を感じている人達と、それらを感じられず、いつも自分は十分だろうかと疑問に思っている人達です。前者について調べたところ、その人たちには以下の共通点があったそうです。「不完全である勇気を持っている事」、「まず自分への思いやりがあり、そして他人にも思いやりがある事(自分に優しくできない人は人にも優しくできない)」、「自分がどうあるべきかではなく、あるがままの自分を出した結果での関係性を持っていること」。そして何よりも、自分の心の vulnerability(もろさ)を受け入れ、その弱さ(もろさ)こそが素晴らしく、人間関係に必要なものだということです。

それはどういう事かと言うと、自分が傷つくかもしれないと分かっていても、そのリスクを負ってでも自分をさらけ出す勇気を持つ。例えば、相手が言ってくれるか分からなくても "I love you" と先に言う。 保証がなくてもやる、うまくいくかどうかわからない関係にも投資をする。そういう事が出来る人達が最終的には素晴らしい人間関係を築けるということでした。

アメリカではこのように弱みを見せるのが社会的にあまり奨励されていない、というような事を書きましたが、良く考えると日本でも男性は同じ状況かもしれないですね。私自身も自分のもろさをさらけ出すのは上手くない気がしていますが、みなさんはどうでしょう?





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