Affection

みなさん、お元気ですか?2月もあと1週間を残すところとなりました。前回母が癌になって帰国からほぼ1年、父が亡くなってほぼ2年ということでまた来週から帰国する事にしました。なのでまた鹿児島に2週間ほどおります。なので今回は帰国前最後のブログです。今回は元夫と話していて気付いた、文化による愛情表現の違いについて気づいた事を書きたいと思います。

文化によって価値観が違うというのは再三書いてきましたが、それは一体どういう事なのか?それはつまり、自分が思う良いと事、悪い事、普通か普通でないか、もしくは好ましいか好ましくないかという事が育った文化によって違うと言う事です。これだけ書くと、価値観が違う人なんてたくさんいるので文化の影響など大したことないように思われますが、実はこの違い、特に個人主義と集団主義との価値観の違いが国際結婚が破綻する大きな原因なのではないかと思うのです。

例えば愛情表現の違い。簡単なことでは、愛情表現(ボディタッチやハグなど)をするのを普通で好ましいと思うのか、それとも普通でない特別な事だと思うのか。アメリカのように普通に親とも友人ともハグする文化で育った人はこのような愛情表現を普通だと思い日常に行うとします。一方で、日本のように家庭や友人と普通ハグしない(最近はするのでしょうか?)文化で育った人はこのような愛情表現は特別なもので日常的には行わないとします。

そのような二人がカップルになるとどうなるか?アメリカ人の方は愛情表現を日常的に行い、また相手からも求めるでしょう。でもそれに慣れていない日本人の方はそのような行為を日常的にされたり求められたりするとうざいと思ったりするかもしれません。つまり、文化的にそれが普通でないと、無意識であっても受け入れるのが難しくなるのです。これが毎日積み重なると、相手に対する不満が積もり積もって大きな問題になるのも頷けます。

今回元夫と話して面白いと思ったのは、集団主義文化と個人主義文化による愛情表現の違い。元夫はアメリカで生まれ育っていますが、彼の母親はペルーからの移民で集団主義文化の出身です。なので私も彼女の行動や人に対する接し方に同意できることが沢山あるのですが、調べてみたら、私のルームメイト達の出身のメキシコやペルーは日本などより断然集団主義度が高いのです。通りで分かりあえるわけです。(下の表はHofstede Insightからの引用で、個人主義度を示している為、個人主義度が低い国が集団主義度が高い、という事です)

4 Countries Individualism

なぜこの指標が愛情表現の違いに関わってくるかというと、人への愛情表現自体が個人主義か集団主義かによって違ってくるからです。例えば、人は人、自分は自分、という個人主義の国では、相手の事を大切に思うのであれば、人の意思や自由を尊重するのが本当の愛だと思うかもしれません。その一方で、人と自分との距離が近く、人の事を自分の事のように気にかける集団主義の国では、相手の事を大切に思うのであれば、相手の傍にいて相手の為に色々してあげるのが本当の愛だと思うかもしれないのです。

これは子育てに関しても、文化によって全然違うアプローチになります。アメリカでは自分の子供であってもプライバシーを尊重しようとし、子供の同意なしに子供の部屋には入らないでしょうし、子供が何か悪い事をした時に、「何故そう言う事をしたのか」という子供の意思を確かめるというアプローチを取ったりします。それが、日本やペルー、メキシコでは子供は親が世話をするものだということで勝手に部屋に入って掃除をしたり、食事を作ったり身の回りの世話をしてあげ、子供が悪い事をしたらまるで自分が悪い事をしたかのように謝ったりするのです。

元の話に戻ると、元夫の母親は、今一緒の敷地内に住んでいるらしいのですが、色々世話をやいてくれる代わりに彼の行動にいちいち口を出してくるそうなのです。でもほぼアメリカ人として育った彼は、そういう世話焼きも口出しもしてほしくない。それを聞いた時、私は「これだ!」と思いました。私が元夫と結婚していた時の私の愛情表現も、元夫に食事を作ってあげたり世話をしてあげる事だったのに気づいたのです。でもそれは元夫の欲しい愛情表現ではなかった。彼は彼の意思と自由を尊重して欲しかったのです。だからそれらの違いが積もり積もって離婚に至ったわけですね。(爆)

子育てに関しても個人主義文化のアメリカの面白い実例があります。以前他州の私の友人(アメリカ人)の知り合いの家に遊びに行った時の話です。私の到着が遅れて彼女の家に着いたのが真夜中近くになったのですが、丁度私が到着した時、子供達(17、18くらい)がデニーズに「朝ごはん(真夜中以降に食べれるらしい)」を食べに友達と出かける所で、友人は快く子供達を送り出しているところでした。「こんな真夜中に出かけて大丈夫なの??」と聞いたところ、友人が興味深い話をしてくれました。

ティーンエイジャーの子供達が16になって運転できるようになった時、子供が自由に行動出来るようになり勝手に出かけるので毎日一緒に食事が出来ないなどと色々問題が出てきたんだそうです。そこでカウンセラーに相談した結果、以下の取り決めをする事にしたんだそうです。毎日家族で一緒に食事をする事には重きを置かない。子供達には出かけるよりも友人を家に呼び、家で一緒に過ごす事を奨励する(アルコールやドラッグには手を出さないよう監視できるため)。また外出は基本自由にさせるが(つまり門限無し)、家族で決めたディナーの日には絶対に出席すると約束させる、と。

これらの事を家族で取り決め、同意した事で、ある程度自分の意思で行動でき、自由が出来た子供は親に反抗しなくなったんだそうです。(また、自分たちの意思も一人前の人として尊重してもらえた、という満足感もあったかもしれません)これは、子供(特に成人前の)は親の管理責任があると判断する日本ではなかなか無いアプローチではないでしょうか?まず子供を意思通りに行動させないでしょうし、そして親の意見と対立したら妥協案を出すと言うのもあまり聞いたことがありません。

子供がその年でちゃんとした判断を出来るのか?という疑問も湧いてきますが、実際子供が反抗しなくなり、家族に調和が戻ってきた、というのであれば、このアプローチはアメリカの文化に慣れている彼女の家には合っていたのでしょう。果たして同じアプローチが集団主義文化の日本やメキシコでも上手く行くか?となると、自分の意思を聞かれずに言う事を聞くように育てられる集団主義文化では難しいような気がします。(まず子供が受け身になる事に慣れているので意思を持つことからして難しいかも?)

長くなりましたが、今回は文化による愛情表現の違いについてでした。次回はできたら日本から更新します。





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