Seattle


**過去の内容を母と確認したら間違っている情報があったので訂正しました**

みなさん、お久しぶりです!サンディエゴはなんと!1月25日、月曜日から自宅謹慎が突如終わってしまいました。(゜д゜)今までさんざんICU(集中治療室)の空きがどうのこうのと言っていたのに、実際その空きが急に増えたのか?!その真相は分からず、分かる事と言えば、カリフォルニア州知事が急にレストランやジムの外での営業を始めて良い、ヘアサロンなども人数制限してなら開けてよい、と宣言したことです。それまで何の予告も無く、急に月曜の当日にそのニュースが流れたので、みんなパニック!レストランを開けようにもずっと休みに入っている従業員に連絡をしてシフトを決めなくてはいけない、材料も調達しなくてはいけない、などでてんてこ舞いのようです。おまけにそのニュースが流れた月曜はサンディエゴはあいにくの大嵐!時折降る雨とすごい風でアウトドアダイニングどころではなかったのでした。

また、前回レストランを開けてたった1日で知事の指示が変わり、すぐにまた閉めなくてはいけなかったこともあり、今回もホントかいな?と思った人も多いようです。ICUのキャパが本当に上がったのか、それとも知事が何十ものビジネスに訴えられてビジネスを開けざるを得なかったのか?もしくはバイデンに代わって何かが変わったのか?そこは分かりません...(そういえば、大統領就任式は以外と何事も無く終わりましたね。DCだけでなく他の州でも私が知る限り特に何もなかったようで、あの騒ぎは何だったのか?という感じです)ワクチンも出回り始めたということで、とりあえずこれから色んなものが空いていくと良いですが、世界のトレンドを見ると、ウィルスの変異種が広がっているヨーロッパではまた規制が厳しくなったりしているようなので、アメリカもまだ先はどうなるか分からないと私はにらんでいます。

***********************************

さて、これまで私はこのブログで散々「海外に出よう!」と言ってきましたが、言うだけでも説得力が無いので、今回から数回にかけて私が海外に出たきっかけ、についてお話しようと思います。実はこの記事を書くまでに、かなりためらいました。何故かというと、私はもちろん今まで順風満帆に生きて来た訳ではなく、たーっくさん失敗もしてきているわけです。その失敗を赤裸々に書けるのだろうか?というか、書いたら恥さらしなんじゃないだろうか?などと思う所があったわけです。でも、それでも今普通に生きている訳だし、今は幸せに暮らしているので、「失敗は恐れなくていいんだよ!」、ということと、また「これらの失敗があったからこそ今の私があるんです!」、ということで、思い切って書くことにしました。うまく書けるか分かりませんが、今後数回お付き合いくださいませ。

以前の記事で、私が中学の時にアメリカのシアトルで2年間過ごしたという話を書いたと思いますが、なぜそんなに若くして海外に出たかと言うと、私が中学の時に母が海外留学する事にしたので私と妹はそれに付いて行ったのです。私の家系は昔から海外に行っている女性が多く、私の母の従姉が50ウン年前にカナダに移住したのを皮切りに、私の母の妹はフランス人と結婚して30年程前にフランスに移住していますし、母の別の従妹の娘も25年程前にイギリス人と結婚して今ではニュージーランドに住んでいます。このように私の母方の家系では女性が海外に出る、というのはあまり珍しくなかったのでした。(以前の記事のあきこさんに言わせると、鹿児島は男をすごく大切にする文化だから逆に女は何も期待されず、好きな事を出来るので海外に出る人が多いんだ、と言っていましたが、周りを見回してみると一理あると思います。)そんな中、私の母も一度海外に!と言う思いがあったのかもしれません。父の承諾もあって母娘3人でシアトルに留学したのでした。(この話はまた後日)

…と書いた後に母と確認したら、最初にアメリカに行った理由が実は違ってました!母によると、私達母娘3人がアメリカに留学することになったのは、元々は父が私達姉妹の語学力のために行かせたかったのが理由だったそうです。でも私達がまだ幼かった(小学生と中学生)ので母を付き添いに行かせようとしたけれど、子の留学に親がついていくことはできず、母が大学に行くなら子を同伴していいということだったので母は私達の為に一緒に行ったということです。(母も留学してみたい気持ちが全くなかったわけじゃないらしいですが)という事で、今の私や妹があるのも父と母のおかげです...ちなみにその時私と妹は義務教育だったので授業料は無料で、かかった学費は母の大学の学費のみだったということでした。(アメリカに行く前にカナダにも下見に行ったのですが、カナダは税金を払ってないという理由で義務教育の子供にも学費を払わなければならなかったので止めたということでした。)

そしてシアトルに留学して2年たった頃に資金が尽きた為、帰国せざるを得なくなったのですが、あいにく帰国したのは私が中学3年生の1学期が終わったころ。中3と言えば、そう、受験の年です。それもあと2学期しかない!当時日本より遅れていたアメリカの教育で2年過ごして、日本人学校にも行っていないのに2学期勉強したくらいで日本の高校に受かるはずがないので、もちろん公立の高校は落ちたのですが、運良く英語の割合が高かった私立の学校に滑り込む事ができたのでした。それでも中学2年のブランクは大きく、また特に全くの文系の頭なのに、「自分をチャレンジしよう!」などと理系を目指したものだから高校の間は大変で、物理などは0点を取ったこともあるくらいです。その上その高校は進学校だった為、周りは皆大学進学を目指しているし、大学に行かないなんてありえないという風潮。元々テストや本番に弱い私は大学受験など到底できるとは思えませんでした。

長くなるので続きます。





「異文化空間」のページをフェイスブックに作りました。
ブログ以外の事も載せていきますので是非フォローを!
Facebook

Lineで更新通知を受け取りたい方は下のボタンをクリック!


ブログランキングに参加しています。