All About Us


みなさん如何お過ごしですか?サンディエゴも大分夏らしくなってきました。今回のこのトピックはしばらく書くのを迷っていたのですが、私の持っている疑問も含めて書くことにしました。それは、Honesty(正直さ、誠実さ。ここでは内容から敢えて正直さと訳すことにします)についてです。(内容は18禁を含む可能性があるのでご注意!)

アメリカ人の友人と話していると、必ずと言って良いほどRelationship(特に恋愛関係)にはHonesty(正直さ)が必須だと言います。彼ら曰く、正直さを前提としない上に恋愛関係は成り立たないと言うのです。でも私はここに疑問があります。正直であると言う事は本当に良い事なのか?具体的には、正直である事は人間関係に役立つのか?ということです。もちろん、ウソをつくのは悪い事に違いはありません。ただ、馬鹿正直に何でも(言わなくても良い事まで)言う、というのは、正直というより、その言葉の通り、馬鹿を見る事もあるのではないでしょうか?また、正直であるということは、それが相手を傷つけても構わない、というある意味傲慢でエゴイスティックな考えが裏に潜んでいないでしょうか?

そう思ったのは、異文化を勉強していて、アメリカのように個人主義の国では往々にして「正直さ>人間関係」と捉えるのに対し、日本のように集団主義の国では「人間関係>正直さ」と捉えると感じるからです。例えば日本には「本音と建て前」という言葉があるように、本音を言わない事で人間関係が上手く行くという分は往々にしてあると思いますが、その部分をあまりこちらの(西洋の)人々は認めたがらない(というか、本音を犠牲にしてまで人間関係を保つことに価値を置かない)気がします。

そう思ったきっかけは、友人が紹介してくれた、”All About Us” (私達のすべて)という本です。”A question book for couples” (カップルの為の質問本)という副題がついていて、本の概要には「今まで想像し得なかったあなたとあなたのパートナーについての全ての事を発見するのに役立ちます」とあります。カップルがお互いの事を良く知り、関係を深める為にと書かれたこの本ですが、友人の知り合い数組のカップルはこの本を読んだ後、関係が良くなるどころか破綻してしまったそうです。つまり、「真実」を知った事が仇になってしまったわけです。

本の内容ですが、全編質問で埋め尽くされていて、カップルでお互いに質問し合えるようになっています。例えばこのような質問があります。
「子供の頃なりたかったものは何ですか?」
「あなたの人生であなたに影響を与えた物や人は何でしたか?」
「あなたがパートナーと初めて会った時の印象はどんな感じでしたか?」
「あなたのパートナーとの一番ロマンチックだった思い出は?」
「あなたのパートナーの事で3つすごく好きなところを挙げるとしたら?」

この辺まではまだいいですね。以下の質問も関係を深めるのに確かに役立ちそうです。
「この関係で決して起こってほしくないと願っている事を3つ挙げるとしたら?」
「あなたがパートナーに絶対に言ってほしくない事を3つ挙げるとしたら?」
「あなたがパートナーに絶対してほしくない事を3つ挙げるとしたら?」
「恋愛関係を持っていてよかったと思う事を3つ挙げるとしたら?」

そして、ここからちょっと危うくなってきます。
「最初にパートナーと一夜を共にした時、願ってた通りでしたか?」
「パートナーに対して変えたいところはどこですか?」
「最近している妄想はどんなことですか?」
「あなたは今の関係の前にもっといろんな人とデートしなかった事をどのくらい後悔していますか?」
「元彼・彼女との行為を夢想する事は裏切りだと思いますか?」

ここまではまだ考えの域なので逃れる余地があるかもしれません。でも極めつけは行動についてです。
「あなたの元彼・彼女で今でも連絡を取っている人がいますか?」
「報われない片思いがありますか?それは誰ですか?」
「あなたのパートナーの肉体的に魅力がない部分は?」
「あなたがパートナーにあげたプレゼントで、元彼・彼女にもあげたものはありますか?」
「あなたはパートナーと行為をしている最中に他の人の事を空想する事はありますか?」

と、こんな感じです。どうでしょう?最後の一連の質問に「正直に答える事」は関係をより深くするのに役立つと思いますか?それともそこまで答える事は関係を破綻に導きはしないでしょうか?

「正直さ」、と言う事が「ウソをつかない事」なのか、「全部を言わない事」なのかという疑問もあります。私はウソをつくのは良くないと思いますが、近い関係だからって全部本音を言う必要はないと考えます。例えば、「あなた太ってると思う」などと相手が傷つくような事は思っても言う必要はない。それは自分が言われたくない事でもあるし、言われると傷つくと分かるからです。このように言うと、私の周りのアメリカ人の友人たちは必ずと言って、「自分は何を言われても傷つかない、真実を受け入れる覚悟がある!ウソをつかれるよりよっぽどいい!」などと言います。(本当か?!)

ここまでの正直さへのこだわりに、ふと思い当たる事がありました。それは異文化の違いの一つの西洋と東洋の宗教の違いです。西洋の宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教)などでは、「絶対の真理というものがあり、その真理とは一つである」という仮定の上に成り立ってます。その為、自分が正しければ相手は間違い、となり、正しい、正しくない、本当かウソか、というように、善と悪をはっきりさせる傾向にあります。スーパーヒーローの映画などを見ると、悪は善になる事はなく、退治されるべきものとして描かれているのがその特徴です。

それに比べ、東洋の宗教(ヒンズー教、仏教、神道、道教)などでは「宗教とは善の探求、自分を高める道を示してくれるもの」として考える為、完全な善も悪もなく、「人々はみな善と悪の部分を持っており、誰でも状況によっては悪を働くことはありえる」、と考えます。よって、完全な善も悪もなく、誰でも生き方次第では善になる事が可能だと考えます。言い方を変えると、東洋宗教は人間は完全でなく、誰でも間違う時があるという事を前提としているとも言えます。そこにあるのは「1つの真実」の大切さではなく、状況、もしくは見方によって変わる「真実」です。

昔、友人と話をしていた時に、もし浮気をしたら相手に言うべきかどうか?という話になりました。私は若気の至りで「もちろん言うべき!」と答えたのですが、その時私より年上だった友人は、「言うべきではない」というスタンスでした。理由を聞くと、「自分が言った事で自分の気は晴れるが、今度は相手が自分を許すかどうかという重荷に苦しむ事になる」と言うのです。よって、「正直に」相手に自分のした事を話すのは、自分のエゴだと言われました。(よって墓場まで持って行く、もしくはそういう事はしない、という意見です)

日本人と付き合った事があるというアメリカ人の友人は、相手に「浮気をするなら分からないようにして」と言われたからびっくりした、と言っていました。彼はもちろん「正直に言う派」なので、「相手に分からないようにしてほしい」(彼の中ではウソをつけと言われているのと同等)と願う相手の事が分からなかったそうです。でも、このように正直に言う事が相手にとって負担になるようだったら(つまり、相手が真実を受け止められない繊細な精神の持ち主だったら)、相手の重荷にならないようにという意味で言わない方が相手の為(自分の為でなく)かもね、と言った所、そういう意見もあるかもしれない、と納得していましたが。

もちろんこれらは一概に文化の違いでもないでしょうし、年を取るにつれて考えが変わる事もあるでしょう。ですが、honesty, honestyとあまりにも本音を全部話す事が良い事のように言うアメリカ人が私の周りには多いので、疑問に思い、書いてみましたが、みなさんはどう思われますか?(ちなみに何でもかんでもコミュニケーションが必要というアメリカ人の意見にも疑問を持ちます。「話さない」というオプションも有りだと思うので。)これはどちらが正しいというのではなく価値観の違いなので、そこを踏まえて良かったらコメントください。

最近見たNetflixの「ブラックミラー」というドラマを見ました。これは「世にも奇妙な物語」もしくはトワイライトゾーン」系のSFドラマなのですが、この中で網膜に全て記録されて過去の記録が全部閲覧できる(つまり真実を知る事が出来る)というエピソードがありました。「人生の軌跡全て」という題で日本でも見れるようですが、このエピソードを見ると「真実を知る事」、もしくは「正直に本当の事を言われる事」に人は本当に耐えられるのか?と疑問に思います。もちろん、ウソをつく必要になるような事をしない事が一番いいのですが、人間は完璧ではないのでそういう事になった場合に、という前提ですが。興味があったら是非観てみてください。

ブラックミラー
Black Mirror





ブログランキングに参加しています。

海外進出ランキング