United Planet


みなさん、如何お過ごしでしょうか?サンディエゴのコロナ状況は相変わらずですが、天候は大分涼しくなってきました。10月末のハロウィーンを控えて例年通りハロウィンの飾りつけをする家もちらほら出てきて年末が近づいているのを感じます。気候が寒くなってきてあちこちでまたコロナが増えているようですが、今年の冬はどうなることやら。私も当分まだ家にこもりきりになりそうです。

突然ですが、みなさんは生きがいとは何だと思いますか?急に聞かれても一体何?と思われるかもですが、ちょっと考えてみてください。ここでお聞きしたいのは、自分は何のためにこの世に生まれてきたのか、いわゆる、自分の人生のミッション(使命)のようなもののお話です。私は特に宗教に反対ではありませんが、特にどの宗教に傾倒しているとかスピリチュアル系にはまっているとかではないので、ここではあくまでも一般論として話してみたいと思います。

私達は通常、生きるとか死ぬとか、生きがいなどについては皆頭の隅っこではうっすらと考ていても、わざわざ口に出さずに毎日を送っている人が多いのではないかと思います。もしかすると毎日の仕事や子育てに忙殺されて、そういう事を考えている暇など無い人がこの世の中は大多数かもしれません。なので、ここではあくまで子供もいなく、また9時ー5時の仕事もしていない、いわゆる暇人のつぶやきとして読んでください。

生きがいと言っても以前書いたように、自分の魂を成長をさせるために恐れることにチャレンジする、とか今回はそういう話をするのではなく、世界の中での自分の役割、つまり居場所はどこなのか、という話をしてみたいのです。なぜ急にこんなことを考えたかと言うと、もちろん今そういう考える暇があるというのもありますが、長年考えてきて、最近やっと答えのしっぽが見つかったように思えるからです。

その答えと言うのは、「生きがいというのは、人に役に立つ事で感じられる」、ということ。ある意味わかりきったことですが、私も今までは頭では分かっていても、心で分かっていませんでした。つまり、いくら素敵な家を持っていても、高級なものを買っても、素晴らしい家族やパートナーがいても、「幸せ」にはなるかもしれないが、「生きがい」は手に入らない。人は幸せにするゴールが自分である限り、生きがいというものは感じられない生き物なんだと気づいたのです。

このように思ったきっかけは、前回書いたオペアウィークエンド(Au Pair Weekend) のパートナーである、ユナイテッドプラネット(United Planet)という非営利団体の活動を知ったからです。ユナイテッドプラネットの活動は地球人(Global Citizen)としてグローバルコミュニティを作ること。その一環として、アフリカではガーナ、ケニア、南アフリカ、中南米ではチリ、コスタリカ、エクアドル、ペルー、アルゼンチン、ブラジル、コロンビア、メキシコ、ヨーロッパではルーマニア、スペイン、イタリア、オーストリア、デンマーク、フィンランド、ドイツ、スイス、アジアではインド、ネパール、フィリピン、韓国、ベトナム、日本、など、世界約30カ国のコミュニティにボランティアを短期では1週間から長期では6か月以上派遣しています。(United Planet の日本のサイト

海外でボランティアというとハードルが高いかもしれませんが、実はバーチャルボランティアという活動もあります。バーチャルで何ができるの?と思うかもしれませんが、例えばコスタリカの森林を守る為のパンフレットを作る、アフリカのある国の女性の人権を守る意識を高める為にビデオを作る、など、色々できることがあるのです。そんなプロジェクトに色んな学生が参加しており、私が見たビデオ会議の録画では、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、アジアの生徒が一度にズームに集まり、自分の活動内容を報告していて感動しました。(アメリカの高校では一定時間のボランティア活動が義務付けられている州がいくつもあるので、その一環で参加している生徒もいるようでした)

私はユナイテッドプラネットで働いているわけでもないし、ユナイテッドプラネットの回し者ではないですが、これを見た時に素晴らしいと思ったのです。いわゆる先進国で水も食事も家も普通にある国で生まれ、過不足なく生きてきた私たちは、すでに物資も豊かにあり、何でも手に入るという状況で、他に何が不足しているかといえば生きがいです。いくら美を追求していくら整形しても、いくらお金があっても手に入らないのが生きがい。なぜなら生きがいは手に入れることでなく、人に与える事でしか手に入らないからです。それを変えられる方法がある。それは人に役に立つことをする事です。

例えばこの世に自分の居場所が無いと思う時。そんな時は自分が世の中の、というより簡単に言えば人に役に立っていないからだと思うのです。役に立っていないというか、人に必要とされていないという事です。人に必要とされていないと感じると、「自分はこの世にいなくてもいいんじゃないか。」「自分一人がいなくても世の中は回っていくじゃないか」と考えます。そう考えると虚しいし、生きている意味が分からなくなる。ある意味、ひきこもりの人たちはそういう虚無感に襲われている人たちなのではないでしょうか。

他にも、多くの人は子供を持つと子供に必然的に自分が必要とされる為、子育てをしているうちは生きがいを感じているかもしれませんが、では子供が巣立ってしまったら?また、今は仕事で毎日が忙殺されていて、仕事で自分が必要とされている為に生きがいを感じている人達も、定年になって仕事がなくなってしまったら?良い仕事に就くために良い大学に行く、良い大学に行くために良い高校に行く、良い高校に行くために小中学校から塾に通う。それもこれも最終的に良い就職先に就く為。では良い就職先に勤められたとして自分は幸せなのか?生きがいを感じられる人生を送れるのか?答えは違うように思います。

もしかしたら、今まで作り上げてきた学歴崇拝社会、というものを見直す時代が来たのかもしれません。良い職(って一体何?)に就いて、ある一定の給料をもらって、毎日誰の為か分からない仕事をする(私たちはお客様の為、と思っているかもしれませんが、往々にして良い就職先の顧客は株主だったりする)。それよりも、給料は少なくても本当に人に良い影響を与えられる仕事の方がやりがいがあるかもしれません。ユナイテッドプラネットは一例ですが、本当に絶滅の危機の動物を救うため活動が出来たり、女性人権の為に戦えたり、森林を守るために手助けが出来たら、「自分は人の役に立っている!」「世界を良くする手伝いをしている!」とやりがいを感じると思いませんか?

今の若い人たちは、日本もアメリカも、良い就職先につくよりも自分の好きなことをしたい、と聞いた事があります。それを前の世代の人たちは甘えだと思うかもしれません。が、好きなことが例えば、地球人として本当に人に役に立ちたい、というのであればそれはそれでも良いのでは?塾に行かなくても、良い大学に行かなくても、良い就職(って再度聞きますが、何?)に就くよりも、給料は低くても、安定してなくても本当に人の為になるような仕事をする方が最終的によっぽどやりがいや生きがい、幸せを感じやすいと思うのですが、どうでしょうか?世界の中での自分の居場所は自分で決められます。自分が決心さえすれば。

自分の好きなことが人の為になって、尚且つそれが自分の得意なスキルを活かせるものだったら素晴らしいですね!どれだけのお金よりも家やモノを手に入れるよりも、そういう事ができる人生が私の理想です。





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